親の権利

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親の権利

私たちの内の誰もが一度は、スーパーの店内などで、駄々をこねて、泣きじゃくる子供のそばで、「さー、そんなに言うことを聞かないんだったら、もうお母さんは知りません。あなたをおいて、帰っちゃいますからねー。」などと言いながら、手ぐすねを引いている親を見たことがあるはずです。時にはそのような親が、本当に家に帰る振りをして、歩き出し、どこかに隠れて子供の様子を見ながら、「気を直して、言うことを聞いてくれないかしらー。」という様子をしているのさえ、目にします。

実はこのような親の行動は、子供に対しての、親としての尊厳を揺るがすきっかけとなり、子供は、親の言うことを聞いて、それに従うことを学ぶどころか、 々さえこねれば、自分の思いが るというような、間違った価値観を持つようにさえなってしまうのです。

赤ちゃんはみんな、誕生の時からすでに、自我を持ってこの世に生まれてきます。自分の欲求が満たされなかったり、また、意向が らなかったりすると、自然に赤ちゃんは声を上げて泣き出します。それは何も悪いことではありません。赤ちゃんが泣くことで、お母さんは、赤ちゃんのおむつが汚れていることや、お腹が空いていること、また、だっこして、あやしてもらいたいという欲求に、気付くことができます。

しかし赤ちゃんもだんだん成長し、ますます知恵がついてくると、自分の欲求が満たされるまで、親の言葉にも耳を貸さず泣き続けたり、 々をこねたり… 両親は躾はおろか、子供が泣きやむなら、何でも言うままになって、「食前には、ダメよ。」っと言ってあった、お菓子を与えたり、就寝時間を過ぎても、ダラダラと遊ばせていたり、ということが日常になってしまう傾向があります。ここからが、親と子供との知恵比べです。

神様は赤ちゃんを小さくてとても可愛いものに造られました。そして両親に、子育ての喜びというものを与えてくださいました。可愛い赤ちゃんを、胸に抱き、また、あやしながら、多くの愛を注ぎ幸せを育むために、人間の内に家庭というものを設けられました。おのずと両親は赤ちゃんよりも体も大きく、知恵にも富み、力強いことにも理由があります。子供が、親の言うことに、耳を貸さなかったり、親の意向と反して自分勝手なことをしたりすれば、いつもは自由にさしてもらえていても、抱き上げられて、親の意向に従うように、明確に示される必要があります。諭しても子供が聞かないのであれば、親の権限で、無理にでも親の意向に従わせることも、時には必要となってくるでしょう。

両親が子供を安全に育てて行くために、親に従うことを学ばせることは、必要不可欠です。先日電車の駅のホームで見かけた、親子の例を挙げてみましょう。駅のホームでお母さんは、ばったり出会った友人と、立ち話を始めました。その間に男の子が、改札へ向かう駅の階段を、一歩一歩登り始めました。お歩きを始めたばかりの彼には、階段の一段一段が大きなチャレンジです。一歩登っては自慢気に母親の様子を見やっています。それに気付かない母親は、おしゃべりに大忙し。彼女が気付いたころには、男の子は、4、5段を登ったころだったでしょうか。そこで、お母さんが男の子に叫びました。「危ないから、ほらっ、降りてこっちに来なさい。」そこで、男の子の取った行動はと言うと、お母さんに従って階段を降りるのではなく、さらに一歩登ったのでした。そして立ち話を続けるお母さんを横目に、男の子は2、3段、階段を降りましたが、それに気付かない母親を見て、また一歩一歩登り始めました。彼にとっては、これは母親との知恵比べ、楽しいゲームなのです。この母親に対しては、この出来事が大したことでないかもしれません。しかしこの同じゲームを子供が道端で始めたらどうでしょう。車が って危ないと気付いた母親は、同じようにその子に叫ぶでしょう。「危ないから、こっちに来なさい。」母親の言葉に従い、言うことを聞いて母親の元に来るのとは逆に、楽しいゲームを思い出して、もしも反対側の車道のほうに、歩き出してしまったら…

私たち夫婦も6人の子持ちですが、褒めてやることと、叱ることで、子供たちが親の意向に従っているか否かをはっきりと示すことにしています。 々をこねるうるさい子供を黙らせるために、アイスクリームをやると、子供はすぐに、 々をこねれば、アイスクリームがもらえる、と理解します。反対に、ご飯中に泣いて言うことを聞かないからと、叱られて子供ベッドに閉じ込められたら、 々をこねることは、お仕置きをされること、と理解します。子供の同じ行動に対しても、私たち両親がどういう対処をするか、両親の意向に子供たちを従わせることが大切です。

Warren Okerman